無冠の巨匠 本多猪四郎(第十二回)

本多監督のヒロイン

 男まさりの女たちが産業の主戦力となっている、しかも近代以前の時間が流れる島。異性との恋をあきらめ、キラキラと光る海に身をささげるヒロイン・野枝。その姿は、古典芸能の女王として殉死する『ガス人間』の藤千代とも共通する女性像だ。本多作品のヒロインは決して「か弱き女性」ではない。
「あの人の映画のヒロインは奥さんそっくりですよ、性格が。あんまりオンナオンナしてないですよね。ちょっと男勝りで、ボーイッシュな役柄が多いでしょ。『モスラ対ゴジラ』に出てくる星由里子のカメラマンがそうだし、ゴジラの河内桃子はお嬢さんだけど深窓の令嬢じゃないじゃないですか。奥さんもそうなんです。ああいう活発な女性が好きなんですね」本多夫妻と親しかった中島紳介さんはそう語る。
 実際、僕がお会いした奥さん(大正六年生)は背筋のキシッとした女性だった。
「私が映画界に入ったのは、べつに映画が好きで好きでっていうことじゃなくて、ジャパンタイムズに入りたかったんですけれども、ひょんなことからニュース映画に関わるようになって、そこで出会った人に勧められて東宝を受けました。当時スクリプターというのは日本に八人きりいなかったんです」
 きみさんは本多監督の怪獣映画によく登場する女性記者のような、先駆的な女性ジャーナリストの道を歩んでいたのだ。
「映画のスタッフはだいたい五十人で、そのなかで女はたった一人ですから、特別待遇みたいに皆さんが大事にしてくれて。私はどの人もみんな好きでした。ただ、非常に素朴な雰囲気があるのはイノさん(本多監督)でした。クロさん(黒沢明監督)にしろ、谷口さん(谷口千吉監督)にしろ、皆さんスマートで頭も良くてとっても話が面白かったけども、そのなかでいちばん、あったかいものがありましたね」
 プロポーズは本多さんからだった。
「でも私は仕事してましたし、結婚したいとかはあんまり感じませんでした。彼が結婚しないかっていうから、いいよって答えただけで。貧乏させないならいいわって言ったら『ぜったいにさせない』って言ったその日から貧乏で(笑)」
 女性によくモテていたという本多さんだが、浮気はなかったと奥さんは断言する。
「いっぱい女優さんの卵が先生って慕ってきましたけど、彼女たちからすれば主人は安心感があったんじゃないかな。女の人にも淡々としてましたしね。男と女って感じは、夫婦でもあんまりなかったです。最後まで私は友達のような感じじゃないかしら、きっと」
 本多さんの映画も、初期作品は奥さんがシナリオの段階から読んで、矛盾する部分を指摘したりもしていたという。きみさんはスクリプターという職を離れても、撮影所感覚の共働者だったのだ。

特撮はいいけど本編は…

 「出来あがった作品は、もう本当に『ごくろうさまでした』の一言です、私は。色んな苦労を知っていますからね。ただ、雑誌などに悪い評が出たりして、私が怒って、文句つけてやろうなんて言うと、主人は『いいんだよ。悪口言って金もらってる人たちだと思えば腹が立たない』って。でも内心はやっぱり悔しかったと思います。クロさんの『羅生門』にしたって、海外で評価されるとコロッと変わるくせに、それまでは全然評価しない」
 本多作品もまた、海外からの評価のほうが高かった。昭和二十年代末、経営危機に瀕していた東宝を救い、アメリカをはじめ全世界に日本映画を認めさせた初めての作品でもあった『ゴジラ』。だが東宝はその功績が本多監督にあると認識しているとは言い難い。それはまだ映画産業が斜陽になり切ってはいなかった六〇年代のうちに、早くも本多さんとの契約を切ったことからもうかがえる。だが、そんな仕打ちの後も、「イシロー・ホンダ」の名にこだわる海外の映画会社との合作を中心に、しばらくは本多監督の映画が絶えることはなかったのだ。
 会社側の意外に低い評価は、おそらく「上出来の脚本を、いい映画に仕上げるだけのウデはある“堅実な職人”」(キネマ旬報社刊『日本映画監督全集』本多監督の項)という見方に代表される国内の批評家たちと同じ見方を、会社側も持っていたからだろう。鳴海丈さんは、監督の生前、一度だけ「失言」してしまったことがあって、今でもそれを後悔しているという。
「二年位前、公開されていたあるモンスター映画の話題をしているとき、本多監督に『どうだった?』って聞かれたんで、『特撮はいいけど本編は今ひとつでした』って答えたんですよ。そうしたら監督の、それまで穏やかだった表情が急に硬直して、ものすごく怖い眼になりましてね。こうおっしゃられたんですよ。『僕のときもそう言われたよ』」

切通理作