イシロウ、それともイノシロウ?

「101年目の本多猪四郎」その2

中島紳介

 本多監督の名前「猪四郎」は「いしろう」と読みます。亥年(いどし)、つまり「いのしし年」生まれの四男ということで名付けられたそうで、一時期は「いのしろう」と呼ばれ、本や雑誌でもそう書かれていました(本田、という誤植や変換ミスは今でも多いようですが)。
 はっきりとした出典はわかりませんが、私も子供の頃にそうした記事で知ったのか「ほんだ いのしろう 」と憶えていて、大学時代に特撮怪獣映画の同人グループに参加し、そこで出会った特撮研究家の竹内博さんから正しい読み方を教えてもらうまで、長い間そのように呼んでいたわけです。

 東宝怪獣映画のプログラム(劇場パンフ)を見ると、昭和43年公開の『怪獣総進撃』から解説文の難しい漢字にルビ(読み仮名)が振られるようになりました。邦画各社やテレビで特撮作品が量産された、いわゆる第一次怪獣ブームの終わり頃で、それ以前のパンフは大人向けでルビなしでしたが、観客の中心となった子供たちにも読めるようにと配慮した結果のようです(翌年の『緯度0大作戦』でいったんルビなしに戻り、その後の東宝チャンピオンまつり版になると、今度はどんどん平仮名が増え活字も大きくなっていきます)。
 この『怪獣総進撃』のプロフィール紹介で(おそらくパンフでは初めて)猪四郎に「いのしろう」とルビが振られたことにより、多くの子供たちが本多監督の名前をそう記憶したことでしょう。

 ところが、現在DVDの特典などに収録されている『空の大怪獣ラドン』(昭和32年)の劇場予告編を見ると、その時点できちんと「ほんだ いしろう」とナレーションで紹介しているのです。一方、その海外版である『RODAN』の画面のクレジットは「INOSHIRO HONDA」になっています。これでは「イシロウ、イノシロウ、どっちなの?」と首をひねってしまいます。
 ついでに調べてみると『怪獣王ゴジラ GODZILLA,THE KING OF MONSTERS』(『ゴジラ』を再編集したアメリカ公開版)は「ISHIRO」ですが、それ以降の『KING KONG vs GODZILLA』『GODZILLA vs THE THING(モスラ対ゴジラ)』『GODZILLA vs MONSTER ZERO(怪獣大戦争)』『WAR OF THE GARGANTUAS(サンダ対ガイラ)』など、ほとんどの海外版のタイトル・クレジットが「INOSHIRO」表記で、『LATITUDE ZERO(緯度0大作戦)』『GODZILLA’S REVENGE(オール怪獣大進撃)』のような後年の作品では「ISHIRO」に戻っていました。

 もっとも、海外版のクレジットは他にも「AKIYOSHI NAKANO」(中野昭慶=なかの てるよし)、「OKIJI KAJITA」(梶田興治=かじた こうじ)といった名前の不統一があるので、どこまで徹底されているのか不明な部分もあります。
 また書籍では、Dennis Fischerの大著「Horror Film Directors,1931-1990」(91年)は「Inoshiro Honda」で記載されていますが、92年に行われたDavid Milnerによる雑誌「CULT MOVIES」のインタビューでは、直接確認したのか「Ishiro Honda」です。日本でも同様で、昭和30年に出た近代社の「現代日本新人物事典」は(ほんだ・いのしろう)と読みが付いていますが、監督のエッセイが載った「映画芸術」昭和41年4月号は(ほんだ・いしろう)と、とにかく統一されていないのです。

 いつ、どうしてそうなったのかは不明ですが、この混乱の原因の一つは本多監督のニックネームである「イノさん」にあったのではないかと考えられます。
 山本嘉次郎監督のもとで助監督を務めていた頃からの友人である黒澤明監督や谷口千吉監督はもとより、同じ職場で働いていた監督夫人の本多きみさんも普段から「イノさん」と言っているくらいで、東宝撮影所では古くからそう呼ばれていたことがわかります(あるいは幼少期、学生時代からの愛称だったかも知れませんが、山さん、黒さん、千ちゃんといった撮影所仲間の呼び名と考えた方がしっくりきます)。

 私は以前、東宝特撮映画の音楽集のレコードを構成したことがありますが、撮影所に保管されていた音楽テープを聴くと、録音技師が記録のために作品タイトルや監督名などを読み上げる時に、はっきり「いのしろう」と発音しているものと「いしろう」と言っているものと両方がありました。
 さらに本多監督がゲスト出演した千葉テレビの情報番組でも、司会者が「いのしろう」と紹介しています。監督は特に否定せずにそのままトークが進行しますが、温厚な本多監督はおそらく、ここで名前の間違いを指摘して司会者を困らせたり、番組の進行を妨げたりするのを避けたかったのでしょう。いや、もう長いことそう呼ばれて馴染んでいるので(本や雑誌の場合と同じように)いちいち訂正するのが面倒だっただけかも知れません。

 このテレビ出演を録音したカセットテープは前出の竹内さんが所蔵していたもので、録音時期が1985年(昭和60年)頃というメモがあるだけで正確なデータがわかりません。本多監督の出演部分以外は、CMなども含めてカットして録音されているため番組名も不明ですが、85年だとすれば当然、話題になるはずの『影武者』以降の黒澤作品についてまったく触れられていないことや、当日の映画紹介コーナーで取り上げられている洋画の公開年を調べてみた結果などから、もっと前の75年頃に放送された番組ではないかと思われます。

 ともあれ、日本では竹内さんをはじめとする研究者の出版物などを通じて、またアメリカやイギリスでは2000年代になってようやく『怪獣王ゴジラ』ではないオリジナルの『ゴジラ』が劇場で上映されたり、その他の作品の日本公開版がそのままの形で続々とDVD化されたりして、正しく「ISHIRO」が浸透してきたようです。
 そういえば、現代を代表するハードSF作家の一人、グレッグ・イーガンが97年に発表した長編小説『ディアスポラ』(ハヤカワ文庫SF)には、イノシロウというキャラクター(仮想空間にデータ化されて生きる未来の人類)が登場します。日本人としても珍しいこんな古風な名前をわざわざ主要人物に付けたということは、あるいは93年に亡くなった本多監督に対するイーガン流のリスペクトだったのかも──そんな妄想がふくらんできます。

 ちなみに、本多監督の作品のなかでも特に人気の高い「海底軍艦」の登場人物である神宮司大佐も、神宮寺と表記されることが多いですが、はてさて真相やいかに?(ヒント→シナリオや公開当時のプレスシートは神宮司、プロデューサー・田中友幸さんのペンネームは神宮寺八郎)

2013.5.7