小林晋一郎
本多監督にお目にかかるたび、いつも新鮮な驚きと発見がありました。そのひとつは、「抜群の記憶力」です。
監督宅にお邪魔させていただく時、いつもご一緒していただいた開田裕治氏や鳴海丈氏、中島紳介氏らは、いずれ劣らぬ博覧強記で、膨大な知識に私などは圧倒されるばかりなのですが、その彼らが繰り出す様々な質問、例えばあの作品のこのシーンの時は、などに対して、まるで昨日撮影してきたばかりのように、実によどみなく、細部に至るまで克明にお話しして下さるのです。
三大怪獣を相手に一頭で迎撃するキングギドラのように、と言っては失礼でしょうか。否、実際にはそれ以上の圧倒的存在感で、撮影秘話の数々を語って下さるのです。至福の表情で聞き入る三人、そして異次元のようなレベルの会話に呆然とする私。あるときは、こんなことを教えていただきました。
「俳優に演技を付けるのは演出で、監督の仕事はそれだけじゃない。役者も含めて、すべてのスタッフに、いかに気持ちよく仕事をしてもらうか。そのために最大限の気配りをするのが監督の仕事。もちろん円谷さんに対しても、ね」
少年のように若々しい好奇心、特に科学に対する関心の高さにも驚かされました。最近の科学で何か面白い話題はある?とのお尋ねに、「これまで雑然と存在していると考えられていた無数の銀河系の位置が、実はビッグバンの開始部を中心にして、まるで太陽の周囲を回る惑星のように、間隔の空いた軌道上に密集して存在することが分かってきた。つまりこの構造は原子核の周囲に存在する幾層もの電子殻の存在と似ていて、極大の構造と極小の構造とが相似形を成しているように見えるのが興味深い」とお答えすると、「それは面白い」と目を輝かせておっしゃるのです。
優しさと爽やかさで人を魅了し、その笑顔で周囲の誰をも幸せにして下さる―――「人をもてなす心」こそは、本多監督ご自身の本質であり、すべての作品に通底する特質だと思います。
最後にお邪魔させていただいてから、わずか2ヶ月後、本多監督は風のように帰天されました。私が受けた第一報は、大森一樹監督からのお電話で、開口一番、「どういうこっちゃ!」と明らかに動揺しておられました。大森監督もいずれ正式に本多監督にお目にかかるのを楽しみにしておられたのです。
余りに突然の訃報。聞けば入院して一週間後のこととか。茫然自失の思いに沈む一方で、ご家族に余り苦労をかけたくないとでも言うかのような、その引き際の鮮やかさに、なぜか「本多監督らしいな」とも感じました。ご葬儀の当日、晴れ渡った早春の空の下で、友人代表の黒澤明監督と、本当に久しぶりに公の場に駆けつけた三船敏郎氏が、様々な思いを越えて堅く手を握り合っていたのを見て、ああ、これも本多監督ならではの粋な計らい、きっと天国で微笑んでおられるのでは、と思ったものでした。
「現代にゴジラを蘇らせるとしたら、僕なりのアイデアはあるよ」そう言ってニヤリとされた本多監督。その内容を伺うことはついにかないませんでした。しかし、すでにこれまでの作品を通じて、本多監督から多大な恩恵をいただいた人々は、世界中に数多く存在するはずです。その恩恵を感謝に代え、その思いを継承し、行動すること。そのことが不世出の偉才・本多猪四郎監督への何よりのオマージュになるだろう―――今あらためて、そう思うのです。
2008年10月12日