本多監督の演出のここがスゴイPart2

「110年目の本多猪四郎」その2の2

中島紳介

 本多監督が演出した本編シーンと円谷英二特技監督による特撮シーンの相性の良さはつとに指摘されるところで、例えば『地球防衛軍』の火炎放射器で攻撃する自衛隊員と火炎を浴びるモゲラのシネスコ画面を生かしたパンニング、あるいは『モスラ』の原子熱線砲発射シーンのカウントダウンなどがすぐに思い浮かぶでしょう【注1】。また『怪獣大戦争』で哲男とハルノが波川女史と会う高級クラブ〝星の花〟の壁面と、P1号が飛ぶ宇宙空間のカットバックは美術設計と一体となった粋な演出です。
 同じような本編と特撮のやりとりは、本多=円谷コンビの作品に特有の見どころであり『海底軍艦』の丸の内壊滅シーンなどでも見られますが、もっと分かりやすいのはムウ帝国の石棺型潜航艦が東京湾に現れ、守護竜マンダを模した石像型熱線砲で停泊中の船舶を焼き払うシーンです。そこへ愛国心の呪縛から解放された神宮司大佐率いる轟天号が勇躍飛来します。それを見た猊下(ムウの実権を握る長老)が「警告を無視したな神宮司(部下に指で合図して)皇帝陛下にご報告」と命じた後、カメラがパンアップして艦橋が下に沈み込む描写があり、続いて潜航艦が急速潜航する特撮カットにつながります。
 このつなぎ方が本多監督の演出の真骨頂です。猊下のセリフで切ってそのまま潜航シーンにつなげてもいいはずなのに、本編のカメラワークでワン・アクション付け足すことで、操演されたミニチュアの動きに説得力──特撮映画に欠かせない〝もっともらしさ〟を補強しているのです。

 こうした〝カット尻〟の演出の巧さも本多監督の作品の大きな特色です。例えば『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』の原爆が炸裂する場面。移植実験の準備をしていた老軍医(志村喬)たちが空襲警報を聞いて天井を見上げると、すぐに爆発の衝撃が襲ってきます。この時、老軍医がフランケンシュタインの心臓をかばって身を投げ出し、続いて燃えさかる核爆発の業火(『世界大戦争』からの流用カット)に切り替わるのですが、これも手術室が爆風に包まれる描写だけで十分だったはずです【注2】。そこに志村喬さんの演じる軍医(科学者)ならば「さもありなん」と納得してしまうような演技を加えて、この人物の存在感をより鮮明なものにしています。
 再び『海底軍艦』に話を戻せば、主人公の旗中たちがムウの女性皇帝を人質にして脱出を図るシーンも見逃せません。水中用の気密服を着るよう促す旗中に「行かぬ!」と拒絶した皇帝が、問答無用で注水されるのを見て「待て!」と抵抗を諦めます。ここでカットが終わってすぐ次の場面になっても、ストーリー上は何の問題もありません(シナリオでは「しぶしぶ気密服を手に取る」とあります)。ところが、映画館で見ていた子供たちが仰天したことには、そのカット終わりで皇帝は自ら着ていた衣装をパッと剥ぎ取るのです。
 画面では胸の上だけとはいえ、誇り高き皇帝陛下が奴隷に等しい下等な地上の人間に素肌をさらす。その恥辱と悔しさを滲ませた表情が印象的で、本多監督が「若いけれど非常に熱心にやってくれた」と感心したという小林哲子さんの役への理解度と演技力が端的に示された名場面と言えるでしょう。
 もうひとつ『海底軍艦』の場面を挙げるなら、轟天号がムウ帝国の心臓部である動力室に侵入したと報告を受けた猊下の捨てゼリフがあります。この期に及んでも帝国の優位を信じて疑わない猊下は、ムウの神に祈りを捧げながら「我々より劣る民族に、外から動力室に行けるはずがない。……断じてない!」と強気に言い放ちます。しかし、そのセリフで切り替わった次のカットから冷線銃を装備した挺身隊の攻撃(ほとんどムウ人に対する大量氷づけ殺戮)が始まり、1万2千年以上の栄華を誇ったムウ帝国はあえなく滅んでゆくのです。

 東宝特撮映画、怪獣映画のファンには今さら言うまでもないことですが、猊下を演じている天本英世さんのキャラクター造形も見ものです。工作隊23号が報告にやって来る場面で、それまで瞑目していた猊下が片方の眉だけピクッと動かして、おもむろに目を開く演技。お付きの兵士に右手だけで合図して海底軍艦の設計図(の下図)を取り出させる動き。落盤による地震が起きて制御装置に飛びつき「保安管制室!何事じゃ!?」「なにっ、日本人の奴隷に調べさせたばかりではないか!」と怒りを露わにする描写【注3】。極めつけはムウ人たちの大群舞シーンで、自分も一緒に「ス・セム・ソ・タ・マンダ!」と歌っているところ【注4】など、場面場面で凝った役作りをしています。
 天本さんといえば岡本喜八監督のギャング・アクションで注目され、岸田森や草野大悟らと並ぶ喜八一家の名物俳優として活躍しましたが、それに劣らず本多監督の作品でも個性を発揮しています【注5】。実は初期のシナリオでは、猊下はもっと狂気じみたところのあるキャラクターでした。大げさな表現を好まない本多監督らしく、完成作品ではそうしたファナティックな部分を強調するような描写はありません。むしろ皇帝の権威を通じてムウ民族の結束を支え、滅亡の危機に瀕した帝国の存続を図る宗教的指導者、数万年をかけて築き上げた自らの文明に絶対の自信を持つ(それゆえに自滅していく)科学的祭司といったイメージを感じさせる役柄になっています。

 その意味で猊下は『ゴジラ』の山根博士、『地球防衛軍』の安達博士など、学問的な独善や傲慢とは無縁な科学者たちの対極に位置する悪役と言えるでしょう。『キングコングの逆襲』のドクター・フー、『メカゴジラの逆襲』の真船博士と同じく(本多監督にとっての)理想の科学者像のアンチテーゼですが、根本のところでは狂気とはほど遠い、別の意味で理性的・論理的な人物として描かれます。これは本多作品の登場人物がみな、怪獣の脅威や宇宙人の侵略に対して冷静に立ち向かう、ノーマルでナチュラルな性格付けをされていることと同じです(それが「善人ばかりで物足りない」というマイナスの評価を受けることもあるわけですが)。
 猊下と同じく天本さんが徹底した悪役演技を見せるドクター・フーはマッド・サイエンティストと言われていますが、果たしてそうでしょうか。妄執にとりつかれ、自分だけの世界に閉じこもるどころか、核兵器で世界制覇を目指す某国の野望を利用して自らの研究を完成させようという、かなり現実的・打算的な人物で、同僚の研究を平気で盗んだり、目的のためにはスポンサーの心理を手玉に取ったりするような狡猾さ(つまるところ処世の知恵)を持っています。真船博士も復讐心に凝り固まってはいますが、一人娘・桂への愛情に人間性を最後まで残していますし、そうした人物描写には「本質的な悪人はいない。悪事に手を染めるにはそれなりの理由がある」という本多監督の人間観が込められていると見るべきでしょう。

 さて、当初のテーマからだいぶ脇道に逸れてしまいましたが、話題がどんどん広がっていくところにも映画を語ることの楽しさがあります。次回はもう少し本多演出のディテールに触れていきたいと思います──。

【注1】有川貞昌特技監督にバトンタッチされた『怪獣総進撃』の東京アタック──怪獣たちを誘導する真鍋杏子(小林夕岐子)と怪獣軍団の破壊シーンの対比なども含まれる。
【注2】ちなみに監督の使用台本(第4稿・決定稿)を見ると、この場面は人物が登場せず、倉庫の戸棚に保管されていた心臓の入ったトランクが爆発の衝撃で破損する(放射能を浴びる)設定になっていた。
【注3】古代エジプト調の衣装で現代用語を使うところがSFの醍醐味。これらの描写から、ムウ帝国が地質的な崩壊の危機に直面し、いわばやむを得ず地上への復帰を急いだことが判る(ここにも本多監督の〝悪〟に対する考え方が反映されている)
【注4】〝猊下(げいか)〟は高僧や高位の聖職者、つまり宗教的な権威者の尊称なので、歌というよりもムウの神に捧げる祈りの詠唱に近いと思われる。
【注5】本多作品の天本英世はさまざまな役柄を演じているが、ワンカットしか登場しない『妖星ゴラス』のキャバレーの客は特筆すべきだろう。シナリオではカウンターで「あいつらが(生き残って)」と距離を置いた形で愚痴をこぼすが、完成作品では伊東(二瓶正也)に酒を注いでやって「君たちが」と皮肉を言う、シニカルな持ち味を生かした演技に変更されている。

2021.9.1