ムービー夜話5

「ごもく映画通信」Vol.20(1992年6月)より

落ち穂拾い

  「ごもく」への投稿も暫くご無沙汰した。いささか季節はずれで恐縮。田畑に落ちこぼれた、麦や稲穂を拾うように思いつくままの記である。
 以前、北海道出身の軍人加藤健夫少将の戦死をドラマ化した映画、『加藤隼戦闘隊』(44)の助監督としての北海道の思い出を「ごもく」に書いたことがある。その時、戦後加藤夫人が生命保険の外交を始められたと、山本嘉次郎監督に紹介されたことに触れた(*注)。戦後の混乱、東宝争議、助監督の薄給等、夫人の力になり得なかったことが心の何処かに引っ掛かっていて、戦前戦後の映画の思い出やインタビュウ、原稿執筆などで、『加藤隼戦闘隊』に触れる度に心の底の底に、確かに、「ご一家のその後は!?」の思いが過(よ)ぎっていた。
 ところが去年偶然買った「週刊新潮」で、四十数年ぶりに夫人の消息を知った。しかしそれは夫人の冥界入りの記事であった。
 「墓碑銘」という囲み記事で、「軍神・加藤健夫の妻、田鶴さんの半世紀」とあった。
 その半世紀は日本婦人の戦後の生き様の一つ、成功した典型であった。夫人の晩年の幸せを知って、今、心温まる思いで見終わる感慨が湧いた。改めて御夫婦の御冥福を祈る次第です。

 遅ればせながら台湾映画を二本観た。二本とも侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品である。『悲情城市』と『冬冬(トントン)の夏休み』。ストーリーや細かい技術を取り上げるのは止めよう。取り上げたい点は、映画は常にその国の、その土地の国民が、人間が造るということである。『悲情城市』は、ベニス国際映画祭の一九八九年度グランプリ作品である。五十年間の日本統治から解放された台湾が、次に大陸から渡って来た、蒋介石政府に対する、希望と失望に立ち向かう物語である。淡々とした語り口で綴られる台湾民衆の生活を通じて、世界人類の一つの断面を摘出して余りある。そのファースト・シーンが素晴らしい。日本国民が聞いた、あの昭和天皇の終戦の詔勅が台北の街々にも流れている。
 当時の状況と人々の心境が、ズシーンと観る者の胸に響いてくる。日本が負けたことにより、台湾の人々には、他民族の抑圧からの解放という明日への希望が湧いて来る。しかし新しい政府も、決して台湾の民衆にとって明るいものばかりではなかった。
 物語の中心となる商家が、二階に上がると日本式障子や畳の部屋があり、五十年の日本統治がどれほど一般の人々の生活にまで浸透していったか興味深い。侯監督の演出は、はっきりとドキュメンタリー手法で描き切っている。
 カメラの視点は主演者を主眼として追うのはなく、その家族、一族、グループ、そして土地、その地方へと広がり、自然と人間関係の中に、時代と歴史をしぼり出している。爽やかな秀作──「仰げば尊し」や「赤とんぼ」の曲が誠に効果的にに使用されている──である。

 「ごもく」15、16号で歯科医師鬼頭氏の映画における歯の重要性を説く一文を拝見した。「目は口ほどに物を言う」とは昔から言われる言葉だが、映画では歯もまた目に劣らず大切な要素である。歯は目のように何時でも他人には見えない。それだけにその現れ方が印象深い。
 最も基本的には、歯の有る無しがどれだけ人生を表現するか。あるいは歯の欠け方でどんな性格や年齢、可愛さ、醜悪さ、狡猾さ等々が表現されるか!! 映画の魅力の一つに接写がある。画面いっぱいの笑った顔となれば、歯の美醜はその映画の生命すら制することにもなる。
 この頃のコマーシャルで外国人の歯並びのきれいさは衆目の一致する処であろう。
 欧米では歯並びの悪い子どもは小、中学校のうちに半年、一年と時間をかけて矯正する。日本は八重歯は可愛いと言われるが、欧米では魔女の牙と忌み嫌うところもあるという。
 演技者にとって歯は大切な表現方法である。昔、高堂国典、志村喬、藤原釜足諸氏は、役によって義歯を使い分けていた。視覚ばかりでなく発声に関係があるからだ。義歯の出来は台詞に大変な影響がある。如何に自然な発声が出来るか、時間を問わず歯科医院に通っていた志村さんのことを思い出す。
 黒澤作品の『用心棒』のラスト近く、用心棒の三船敏郎が見つめる中で、気の狂った名主役の藤原釜足が団扇(うちわ)太鼓を叩き廻るシーンの、義歯をはずした、歯無しの口元はまさに鬼気迫るものがあった。

 次回作『まぁだだよ』(黒澤明監督)は、誠に頑固に撮影進行中です。題名の『まぁだだよ』は、子供の頃の鬼ごっこの「もういいかい」「まぁだだよ」の、あの「まぁだだよ」である。題材は作家・内田百閒が旧陸軍士官学校の教官、その後、法政大学で教授をされていた自分の教え子が主となり、作品の出版社の難しい人たち、最後は家族ぐるみ、子供たちまで集まって、内田さんの誕生日を祝った。その会の名が「摩阿陀会(まあだかい)」といった。
 そのいわれは、先生は丈夫でなかなか死にそうもない。そこで「まぁだかい」とユーモラスな会名とし、先生にはいつまでも「まぁだだよ」と言ってもらいたいという願いを込めて杯をあげ、大騒ぎする習慣であった。
 映画はこの愉快な先生と教え子たちの変わらぬ愛情物語である。
 内田百閒は夏目漱石の弟子で、漱石の死の床にも立ち会った間柄であった。その文章は大変な名文で──作家・井伏鱒二氏は「文章のうまさは漱石より上」と褒めている──読み易く、正直、読みながら、一人で心の底からこみあげて来る笑いに「…まいりました」と言うほかないユーモアが潜んでいる。映画ファン、特にSFファンには、「東京日記」という短篇を是非お勧めしたい。夏目漱石の「夢十夜」同様、色々な夢の話であるが、これがまさにSFであるという物語が出てくる。
 映画「まぁだだよ」はこの内田百閒のすがすがしい笑いの中に、温かい人間同士の楽しいドラマが展開する。乞う御期待!!

*注:実際に掲載された文章(第3回「私と北海道」)にはこの記述はありません。