国内外のファンの方々の要望にこたえて本多先生のホームページが開設されることになったそうで心よりお慶び申し上げます。
1958年、未だ日本の映画も元気があり、初めて訪ねた東宝砧撮影所はスタッフが走り廻り週末ともなるとバスで見学に来る人達でごったがえしそれ迄スクリーンをとおしてしか見たことの無いスター達が当たり前の事乍らサロンで談笑していた。
大学4年生でそれ迄映画は映画館で観るものとしか認識のない22才の青年は何が何でも俳優になるつもりも無く芝居の経験も皆無で幸か不幸か卒業試験とダブっていた為、撮影所内で行われていた俳優養成所にも2,3回しか顔を出さなかった私に田中友幸プロデューサーと本多猪四郎監督がスクリーンテスト位のつもりで「美女と液体人間」という作品に街のアベックの役で(役名も無かった)出演する機会を作ってくれた。
夜の街、しかも雨の降っているシーンで通りがかりのアベックがマンホールから出てくる液体人間を見て唯驚くシーンに沢山のエキストラの人達と共に1カットだけの出演だったが映画の現場のスタッフの多さと熱気に驚き圧倒された記憶が今も昨日の事の様に思い出されます。
そのカメラテストのような結果が良かったのか悪かったのかは解りませんが、その直後に「密告者は誰か」の主役を演らせて貰い、次の1959年には立て続けに6本、60年には8本、61年には7本と沢山の作品に出演をする機会を得て遂に1964年本多先生の「三大怪獣地球最大の決戦」、「宇宙大怪獣ドゴラ」という東宝の社長シリーズや黒澤作品、稲垣作品と共にドル箱だった作品に出演するチャンスを貰いました。
「宇宙大怪獣ドゴラ」は先日東宝がDVDとして売りに出すにあたりオーディオコメンタリーを録る為に改めて見る機会を得ましたが40数年経った今見ても時代を感じさせない楽しい作品でした。
本多先生と一緒に仕事をされた方々は皆監督が怒っている顔を見たことがないのではないでしょうか、又先生が現場で大きな声を出しているのを見た経験がないという位静かで温厚な真のジェントルマンでした。
そんな初夏の或る日、岡本町の監督の自宅の庭で行われたバーベキューパーティーに招かれ先生のご家族や多くのスタッフ共々夜が更ける迄楽しい時間を過ごした事、そして先生が現場に居る時と同様終始あの素晴らしい笑顔で皆と酒をくみ交わし談笑していた姿が今も鮮明に私の脳裏に焼きついています。
映画には100本位出演しました。
その最初の1カットを撮って下さった本多監督にありがとう。
夏木陽介