無冠の巨匠 本多猪四郎(第二回)

執拗きわまりない演出

 まずは、やはり昭和二九年の第一作『ゴジラ』に戻って、日本初の巨大怪獣ゴジラの生みの親は誰なのかを考えてみよう。
 田中友幸プロデューサーは、同年二月のビキニ環礁核実験でマグロ漁船第五福竜丸が被爆した事件にヒントを得て、海の底に眠っていた怪獣が水爆により目を覚ますという企画を考えた。そして、幻想作家の香山滋に依頼して書かれた基本ストーリーが、監督・本多猪四郎も参加してシナリオにまとめられた。
 『ゴジラ』の評価は、単に特撮映画の傑作いうにとどまらなかった。その理由として「反核」や「反戦」をメッセージした映画だからだと言われ続けてきたし、田中友幸プロデューサーもそう語っている。
 しかし、本多監督は、そういった表向きのテーマに沿いつつ演出の細かい部分でそこから逸脱してみせる。実際の作品を見てみよう。
 冒頭、貨物船が遭難し、捜索に行った船もまた沈没してしまう。それはゴジラの襲撃なのだが、まだその姿は見せない。三名の生存者があり、大戸島という島の漁船に救助される。その報を聞いて喜ぶ海上保安庁の人々。どちらの船の人間が救助されたのかと聞く家族たち。だがその直後に次の報告が入る。
「大戸島の漁船も同じ運命です」
 漁船から一人だけ生き残った男・政治が島に流れ着く。しかしその政治も、深夜に上陸したゴジラ(まだ足しか見せない)に母親もろとも踏み殺される。
 みなし子となった政治の弟は東京に引き取られるが、そこもやがてゴジラの襲撃にあうことになる。観客をいったん安心させてたびに地獄に突き落とす。その繰り返し。それが本多監督の手法だ。香山滋の原作では、そのものズバリ第五福竜丸の帰還から始まっている。だがそのやり方では、観客は単に反核のメッセージとして頭で理解し、逆に心の奥までは迫らなかったのではないか。
 東京に迫るゴジラの恐怖。通勤電車の中でゴジラ出現を報じる新聞を読み、嘆息する女性。嫌ねえ、疎開なんて。長崎から生き延びた命なのに――。
 主役でもない、役名さえもないこの女性は、少し後にもう一度登場する。フリゲート艦隊が海底に潜むゴジラを撃滅したと新聞が報じたので、安心して遊覧船に乗って遊んでいる女性として。だがその船の前に、ヌッと現れるゴジラ! 原爆から生き延びた女性がゴジラに遭遇するというこの配役はシナリオにはない。ここにも監督の思惑が現れている。
 そしてついに東京に上陸するゴジラ! 夜空にサーチライトが幾条も走っていく。
「まるであの空襲警報を思い出す様な重苦しいサイレンの音が長い尾をひいて鳴り始める。と同時に、ラジオのブザーが鳴って『警戒警報、警戒警報――』(シナリオより)
 ゴジラが口から吐く放射能火炎で燃え盛る東京。画面がしばし消化任務に向かう消防隊を捉えると、消防車はガスタンクの爆発のあおりをくって横転してしまう。また、救助体制を解かれて緊張が緩んだとたんにゴジラの吐く白熱光に焼かれる警官隊。
 炎上する銀座松坂屋の軒下で幼い子どもを抱えて震えている婦人が突然映し出される。彼らはもう逃げようともしない。
 「ね、もうすぐ、もうすぐ、お父ちゃまのところに行くのよ」
 戦争で父を失いながらも戦後に生き延びた母子を炎が包む。
 燃える松坂屋を後にしたゴジラは、戦後の時を刻んでいた時計塔の音に反応してそれを手で崩す。崩れ落ちる時計塔は、地下鉄に避難していた人々の上に落下する。
 終戦直後の焼け野原に戻った東京。まるで被爆の記録映画のような野戦病院の描写が入る。生き残った幼い男の子にガイガーカウンターを向けている科学者。彼は激しい残留放射能の反応に首を振るが、男の子は何も気づかず、無心な表情をしている。別の場所では、担架で運ばれていく母親を追って号泣する少女。ヒロインが少女をなだめ「お母さんすぐ帰ってきますよ」と言う。もちろん、帰ってくるはずがないことを強調する演出だ。

凶々しい魅力

 本多演出はこれでもかこれでもかと執拗なまでに、いったん命拾いした人々を一人一人踏みにじっていく。それはほとんどサディスティックなほどだ。
 『ゴジラ』が、いわゆる「反戦映画」とは異質なのはそこだ。これだけ日本人が殺されていく様を見せながら、あまりに執拗であるがゆえに一種のカタルシスが生まれているのだ。それがなければ、「かわいそうなのは私たちです」という日本人にありがちな被害者意識だけに凝り固まったほかの反戦映画と同じく、観客は女子どもにも容赦しないゴジラを戦争の象徴として憎んだだろう。ところが憎むどころかこれ一作でゴジラは大スターになってしまった。明らかに観客は、殺される側の無念さと同時に殺す側の快感をも引き受けていたのだ。
 これこそが、今のゴジラ映画からまったく欠落している要素である。最近のゴジラ映画は、『VSモスラ』でも、『VSメカゴジラ』でも、ゴジラが壊すのは、いつも、すでに民衆が避難してしまった後の誰もいない空っぽの高層ビルだ。非戦闘員は誰も死なない。いや、戦闘員でさえ、敗れそうになるとすぐに戦線を離脱する。これはゴジラが殺戮者であるという事実を隠蔽するものだ。最近のゴジラ映画の登場人物がゴジラに同情的なのはそのためだ。ゴジラは自然の使者。エコロジーの神。悪いのは人間の方(言葉だけのテーマ性やメッセージ色はむしろ最近のゴジラ映画の方が強い)。製作側は子どものヒーローに堕してしまったゴジラを悪役に戻したと言っているが、本質的なところではゴジラに悪を背負わせてはいない。そうしなければ、「人を殺す」という人間の業を忘れてしまった今の日本人は、ゴジラに感情移入できないというのだろうか。
 だが、本来、怪獣映画の醍醐味とは、暗い欲望が呼び覚まされる凶々しい魅力なのではないか。何もかも滅んでしまえ、という自らの潜在意識と否応なしに向き合わされる快楽と衝撃。
「破壊の恐ろしさと絶望が、この映画のフィクションの中から切々と心に迫り、一つの反省を世の人々に与え得れば私としては望外の喜びだ」(『ゴジラ』公開時に東宝宣伝部発行の冊子に寄せた本多監督の抱負)。
 「反核」という被害者意識ではなく、「反省」について語る本多監督。やはり、彼は、戦後の平和にひたる人々の意識の底を揺るがしたかったのだ。
 こんなすさまじい映画を作った本多監督とはどういう人だったのだろう。だが本多さんはもうこの世にいない。だから僕は本多夫人のキミさんと、晩年の本多さんに十年近く私淑していた作家の鳴海丈さん、ライターの中島紳介さんにお話を伺うことにした。

切通理作