怪獣博士の背中
『ゴジラ』における<現代社会からゆきはぐれてしまった人間>は、まず、ゴジラの存在を初めて示唆する古生物学者、山根博士(志村喬)である。
伊豆諸島の大戸島近海で起こった謎の災害に対する国会の公聴会で、ネクタイを背広の前に出したまま喋り、途中で気がついたように直す志村のトボけた演技は、この科学者が人前に出るのが不得手で、古生物以外のことには関心がない人間であることを示している。また、調査団の一人として大戸島を訪ねるや、ゴジラの足跡に残留していた太古の三葉虫に我を忘れ、放射能の危険があるのに素手で掴んでたしなめられる。
山根は、企画段階で香山滋が最初に書いた『「G作品」検討用台本』では、もっと誇張して描かれている(『ゴジラ』の原作とされてきた香山滋・著の単行本は、完成した映画を基にした一種のノベライゼーションである)。その風体もマントを風になびかす怪紳士。人類を万物の長とする価値観に挑戦し、ゴジラを守るためなら暴力的な行動も辞さない。高圧電流によるゴジラ攻撃に対して「ジュラの王者を電気椅子にかける愚かな人間ども!」と怒り、発電所に忍び込んで送電を止めようとさえする。
だが、本多演出での山根は、ちょっと子どもっぽいところはあるが、和服の似合う小市民的な人物だ。人間がゴジラを攻撃するのを居間のテレビで観ても、激昂するよりも先に、ただ気落ちして自室にこもる。心配して見に来た娘・恵美子(河内桃子)に「電気を消しておいてくれ」と言う。娘は、いつも父が沈んだときにはそうすることを了解しているかのように灯りを消す。薄闇の中に浮かぶ山根の背中を、本多監督は数秒間、ロングでじっと見つめる。破壊描写でのキビキビしたカットの切り替えとは対照的な演出だ。
だが温厚な山根も、ゴジラが上陸するや、矢も盾もたまらず外へ出る。警官に制止されながらも、「ゴジラに光を当ててはいけません。ますます怒るばかりです」と叫ぶが、他の群衆とともに押し戻される。この台詞はシナリオの決定稿にすらなく、映画で初めて登場するものだ。ゴジラがなぜ光を嫌うのか、それは説明されない。だが山根の唯一の叫びは、闇を通じて彼の存在とゴジラが響き合っていることを示す。
娘の恋人であり、サルベージ船の船長である健康的な若者・尾形(宝田明)は、山根に向かって、ゴジラは水爆そのものであり、人間を救うためにはこれを倒すべしとブチ上げる。すると、山根は思わず反論する。
「なぜ核の洗礼を浴びながらなお生き永えた生命を研究しようともしないのだ。君までがゴジラを抹殺しようというのか」
プロデューサーの田中友幸は、『ゴジラ』のテーマは「反核」だと言い続けてきた。ゴジラを核の脅威だとするその解釈は、劇中では戦後的若者・尾形の口から出ている。ところが実際の演出では、たとえ人間が殺されてもゴジラを生かしておきたいと願う山根の心情の方が印象的に描かれる。映画はいつしか山根の視点になっているのだ。
本多監督の評伝を書いた樋口尚文は、同書の中で、本多監督の人物演出を「悪漢は悪漢然と、ヒーローはヒーロー然と、複雑な心理的陰影など排除して薄く軽く描く『概念』的な割り切り」と決めつけている。この評価は、もちろん事実を歪めている。香山滋が誇張して分かりやすく描いた山根のキャラクターを、本多監督は、複雑で陰影の濃い人物として造形しているのだから。
静かなる人
そうした山根の人物像に触れると、僕はどうしても、本多さんを知る人たちから耳にした彼自身の人柄を思い浮かべてしまう。生前私淑したライターの中島紳介さん、作家の鳴海丈さんも異口同音に「静かで、優しい人だった」と語る。 「主人は怒ったことがないんですよ。ボトル一本飲んでも微動だに崩れない人ですからね。だけど、黙ってるけど、怒らないけれども、ああいう静かな人ってのは、なんとはなしに、やっぱりみんなちょっと煙たいとこもあるんですよね。普段、雑談をするにはね」
現場スタッフの愚痴は奥さんがいつも聞き役だったという。
「スタッフのはけ口みたいなもんですよ、私は(笑)。それでいろんな状況が分ってくる。たとえば会社側の無理解で、予算やなんかのことでたまらなく不愉快なことがある。それを耳に入れた私が後で主人に『腹立たない?』なんてきくでしょ。『立つよ。でも腹が立ってたらば、誰がかわいそうって、自分だよ。腹が立つのはしょうがないけどね。それは流しちゃわないと自分自身がしんどいんだよ』ってね。あんまりそういう感情が表にギラギラ出てこなかった。好きな人と嫌いな人もハッキリ私には分かります。でも嫌な人が来ても、絶対に受け入れてましたね」
そんな本多さんでも、自分の部屋だけは誰にもいじらせなかったという。戦争から帰ってからは生活のことをぜんぶ奥さんに任せていたにもかかわらず。
「主人が亡くなった後、書斎があまりにも整頓されていたんでびっくりして。第一回作品から今日まで全部きちんと台本、絵コンテ、ポスターが区分けされていて、生前は私が部屋を触ると怒られたんです。自分の頭の中でどこに何があるのか、昭和何年の何月の文藝春秋にこんなことが書いてあったけども、あれはどこにいったろうって、資料の仕分けしてある欄のところに行けばあるわけなんですよね。そのくらい几帳面だったんです」
その話は、化石貝類の標本やステゴザウルスの骨格摸型が並べられた山根博士の部屋を思い出させる。
切通理作