ゴジラと心中する男
本多監督は、ゴジラと心中することになる芹沢博士(平田昭彦)のキャラクターも、彼の部屋ぐるみ演出している。戦争で片目を失い、そのせいで婚約者であった山根の娘・恵美子と会うことなく地下の研究室に閉じこもる芹沢。監督は、芹沢の研究室のセットは自身の指示で作ったと語っている。
「あれは僕の知っているものすごいお金持ちの家を参考にしたわけです。上は全部、空襲で焼けちゃったけど、下だけは地下室でキレイに残っているという。だから平田君は昔は上流階級で、彼の家自体も、そういう造りを想像して……戦争時代を通りこしてきた古い洋館というイメージでやったんでね」
芹沢は、戦後に生き延びてしまった「過去」の遺物なのだ。その顔に刻まれたケロイドも手伝って、芹沢の存在も、水爆を浴び、海底洞窟の闇から戦争の記憶を呼び覚ましに蘇った怪獣ゴジラの存在とダブッてくる。
芹沢は恵美子にだけ、まるで秘密の宝箱を開けるように、研究室で行っていた実験を見せる。一瞬で魚を骨まで溶かす水中酸素破壊剤オキシジェン・デストロイヤーの威力。絶叫する恵美子。暗い表情で芹沢は、これが原水爆に次ぐ兵器に利用されることを恐れているのだと語る。恵美子は口外しないことを誓う。だが、ゴジラに蹂躙された東京の野戦病院でその惨状を見た恵美子は、ゴジラを倒すために芹沢の秘密を恋人の尾形に喋ってしまう。
ゴジラに対してオキシジェン・デストロイヤーを使わせてくれ、と説得しようとする尾形に芹沢は抵抗する。デストロイヤーが兵器として使われたが最後、為政者たちが黙って見ているはずがないだろう。そして自分自身、悪魔に魂を売らないという保証はない。戦争中に何があったのか、芹沢は自分を含めた人間というものが信じられないのだ。
しかし、ゴジラ災厄の惨状を映しだしたテレビに、処女(おとめ)たちの歌う平和の祈りがかぶさる様を見て、芹沢はオキシジェン・デストロイヤーの使用を決意する。
こうして書くと、いたいけな処女の歌声が彼を人類愛に目覚めさせたようだが、実際の映画を見るとそうではない。
恵美子が自分との約束を破ったことに絶望し、オキシジェン・デストロイヤーを破壊し始める芹沢。それを制止しようとする尾形との殴り合い。だが、尾形の額から流れる血を恵美子がハンカチでぬぐってやるのを見た芹沢は、すべてを悟る。それまでは、おぼろげにしか自覚していなかった恵美子の心変わりを、ハッキリと確認したのだ。そのとき、テレビからの処女の歌声が聞こえてくる。
決心した後の芹沢の表情はむしろ晴れやかだ。
芹沢は誰にも恨み言をこぼさず、デストロイヤーに関するすべての書類を焼き、自ら海底に潜り、装置を作動させる。
「幸福に暮らせよ……」
そう恵美子と尾形に言い残して……。
断末魔の叫びを上げるゴジラとともに溶けていく芹沢。彼は最後まで恵美子に自分の気持ちを告げずに死んでいく。
船上の尾形たちは、芹沢の命綱が彼自身の手で切られているのを知る。取り残されたような表情で海を見つめて山根は呟く。
「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない…」
以上のラストに至る展開は原案や脚本のスタッフがなかなか考えつかなかったので、本多監督が自分だけで書いたという。戦争で死にはぐれた青年が、人間に絶望しながらも、すべてを許す境地に至り、自己を犠牲にして世界を救う。本多監督が『ゴジラ』で描いた物語は、芹沢という男の恋愛悲劇でもあった。
現実社会からゆきはぐれ、愛からもはぐれてしまった者の物語。それは本多監督のすべての映画に共通する。 たとえば、本多さんが日本で初めて本格的な超科学戦争を描いた『地球防衛軍』(57)は、科学を信仰にまで高めた男が地球と愛する女性を捨て、核に母星を犯された宇宙人の地球侵略に加担するが、最後には宇宙人とともに死んでいくというものだった。その男は芹沢と同じく平田昭彦が演じているが、彼は他の本多作品でもほとんど同じキャラクターを演じ続けた。コメディ仕立ての『キングコング対ゴジラ』(62)でも、怪獣同士の対決を自衛隊にけしかける超然とした科学者・重沢博士を演じている。
また、『地球防衛軍』での侵略者も、子孫を残すため地球の女性と結婚することを目的として拒絶される「宇宙の放浪者」である。<ゆきはぐれ者>は人間とは限らない。ときには宇宙人であり、ときには怪獣そのものになる。そして、彼らはゴジラと芹沢のように、もつれあいながら、海中や地割れや炎の中に呑み込まれていく。『獣人雪男』『ラドン』『海底軍艦』『フランケンシュタイン対地底怪獣』『サンダ対ガイラ』『ガス人間第一号』……。心中を思わせる彼らの最期は、皆、悲しい余韻を残している。
切通理作