本多 隆司
早い物ですね、思い起こせば起こすほど、思い切りの良い旅立ちでした。
あれは黒沢作品の“まあだだよ”がクランクアップした時でした。
私はまだNYで生活をしておりましたが、その日の朝、(日本では深夜です)突然、家の電話が鳴り、電話の向こうには酔いつ ぶれた父の声が在りました。
自分から国際電話など掛けた事のない父が掛けてきたのです。
出来上がった作品の完成祝いの後だという事でした。
長い事一人で話をしてました、あんなに興奮して、嬉しさを表現していた父は初めてでした。不思議な物です、その時にわたく しは“何か”を感じてました。
そして、何時までも子供の様な素直な気持ちで居る父を羨ましくも思いました。
どの作品を取っても一つとして単純な怪獣映画に終わった作品はない、と思ってます。
映像の端々まで、エキストラの一人一人までに役割があった、それが父の作品だと思います。
この電話の数日後入院、そして一週間。
生誕百年が一歩一歩近づいてくる足音が日に日に大きくなってきます。