本多 隆司
こんな事を時々考えてしまう。
合同芸術、この事を一番大切にしていた事は確かだ。
監督として作品を引っ張って行き、自分の作品として世に出した事も事実だ。
しかし、絵柄を見て“これは本多監督が描いた!”と解る特別な技法を使った事があるのだろうか?
曲がった事が嫌いで、嘘を付く事が嫌いで、誇張、誇大表現が嫌いな父が使った技法は忠実な、現実的な絵、地味な表現方法だったと思う。
それが特撮とぶつからない、特撮との融合、特撮との連帯に繋がり、強いては円谷英二監督との名コンビを作り出したのではないだろうか?
役者さんにも自分の思う人物像、主人公像と言った物を押しつける事はしなかった、むしろ役者さんに合わせ、登場人物を作り変えて行く。
こんな印象が強く感じるほど演技者に対して怒りをぶつけたり、演技の変更などをした事がない、と聞いている。
この事は一見簡単な事の様に聞こえるかも知れないが、当時の映画作りという物は各映画会社が専属契約をしている役者さんで作られるのである。
従って、キャスティングも自ずから選択範囲が決まってくるのだ。
そんな中で本多組に限らず東宝作品は東宝の専属俳優さんが毎回出演し、数多くのお馴染みの役者さんが出演する事になる。
勿論このシステムは他の4社も同じであった。
見る方にすると、いつも同じ役者さんで作品が構成されているのだ。
私なんかはこの辺りを単純に疑問詞を付けていたものである。
しかし、子供心に感じていた事は本多組は和やかな、暖かな現場、誰もがニコニコと余裕すら感じる所だった。
NGの少なかった事も憶えている。
そして、父の声が妙に大きく、隅々まで響き渡っていた事も。
2007年7月23日