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改訂作業

「101年目の本多猪四郎」その1

中島紳介

 当サイトのBIOGRAPHY(略年譜)は本多監督の没後、ムック「東宝SF特撮映画シリーズvol.8 ゴジラvsメカゴジラ」(93年)の追悼小特集のために作成した作品リストをもとに、同シリーズに分載されたロング・インタビュー(および、その取材テープやメモ)、樋口尚文さんの著書「グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代」(92年)等の監督自身の発言、キネマ旬報社から出た「日本映画テレビ監督全集」(88年)並びにキネマ旬報、東宝友の会(ファンクラブ)の機関誌「東宝映画」などからデータを整理してまとめ、山本眞吾さんが編集した「本多猪四郎『ゴジラ』とわが映画人生」(94年)の巻末に収録したものがベースになっています。

 最初に作ったこの本多猪四郎略年譜≠ヘ、竹内博さん編「本多猪四郎全仕事」(00年)に改訂第1版として掲載した際にいくつかの誤記が発生し、その後、修正する機会がないままになっていました(2010年に復刊された「わが映画人生」には初版のスタッフが関わっていないため、手直しできませんでした)。
 その反省から、公式サイトでは新たに見つかった(または見過ごしていた)資料や各種の記事、昨年きみ夫人が書いた回顧録「ゴジラのトランク」などで明らかになった事柄をその都度反映させながら、なるべく定期的に改訂を重ねるようにしています。

 最新の改訂13版(13年3月更新)では、監督としてデビューする前に撮った文化映画のデータを若干修正しました。
 キネ旬増刊「日本映画テレビ監督全集」の本多監督の項目や「グッドモーニング、ゴジラ」には、文化映画「共同組合の話」(49年)記録映画「伊勢志摩」(50年)とありますが、それらよりも古い記事──監督デビュー作「青い真珠」(51年)の宣伝用に作られた東宝スタジオメール(製作状況などを伝えるニュースペーパー)のプロフィール紹介では「伊勢・志摩」昭和24年「生活協同組合」昭和25年と、製作年度が逆になっています。

 本多監督自身は「共同組合」「伊勢志摩」の順で演出したと語っており、前出の出版物の記載はその発言に基づいたものと思われますが、それとは時期もタイトルも矛盾した資料が存在するので一時はすっかり混乱してしまいました。
 ただ、現在ネット上で公開されている「鳥羽の観光史略年表」(鳥羽市観光基本計画 資料編)を見ると、三重県の伊勢・鳥羽・志摩地方で撮影された新旧の映画についてロケの期間、地元での試写の日付などの記録が残っており「伊勢志摩」は1949年(昭和24年)4月からロケ撮影が始まり、7月に披露試写が行われたことがわかります(ほかにも「青い真珠」「ゴジラ」、谷口千吉監督作品をはじめとする歴代の「潮騒」、近年の「小さき勇者たち〜ガメラ〜」等のデータもあり)。

 さらに、先日「ゴジラのトランク展」でお会いした研究家の鈴木宣孝さんが調査したところでは「生活協同組合」はまったく別のタイトルの劇映画仕立ての作品で、前記スタジオメールにあるとおり50年製作、「伊勢志摩」のあとに作られたものだということです(鈴木さんの詳細な調査報告は当サイト宛てにメールでいただきましたので、近く公開いたします)。
 こうした経緯から、より製作時期が近い「青い真珠」のスタジオメールに基づいて13版を再改訂しました。
 なお「伊勢志摩」は先年CSの映画チャンネルで放送され、内容が確認できたものの「生活協同組合」についてはまだはっきりしたことがわかっていません。本多監督の特集を組んだ山形国際ドキュメンタリー映画祭の担当者も、フィルムの存在を確認できていないということでしたので、別の資料が見つかれば、また変更することもあり得ます。

 ということで改訂作業はまだまだ果てしなく続きそうですが、前出の鈴木さん以外にも当サイトを閲覧したファンの皆さまから誤記の指摘や新情報をいただいており、それらはお便り欄のCONTACT US(VOICE)のページでご紹介すると共に順次データに反映させていく予定です。よりいっそう充実したものにしていきたいと考えておりますので、引き続きご協力のほど、よろしくお願いします。
 
2013.4.7
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