私と東宝撮影所 NO.2 Messages へ
表門から入る時は何故か背筋がピンと成る気がした。

 入って直ぐ左側に各作品のスタッフルームがずらりと並んでいた。
その一つに本多組と書かれた(小学校の一年B組の様な)表示板があり、 ポスター、が貼られていた。
部屋は板張りの木造で、大きさは小学校の教室位な中に長い机が並べられてあり、壁には長く、巻物の様になった予定表に赤、黄色、緑の書き込みと傍線が引かれ、絵巻物の様なカラフルに見えた。
そして、絵コンテが貼られ、助監督であった梶田氏が各部署のスタッフと打合せをしていた。
たばこの煙と臭いがむんむん、何処に行ってもたばこの臭いが溢れているのを憶えている。
出入りするスタッフのケツには二つ折りになった台本が刺さっていた、耳には鉛筆、腰には大工袋、スタッフの台本はほとんどが既にボロボロで手垢で汚れていた。
こんな中で何時父は台本の表紙をカラフルに塗り上げたのだろうか?不思議の一つである。

 一歩表に出ると広場中央には大きな噴水があり、その周りを銀座の交差点の様に人々が行き交って居た。
噴水の前では様々な宣伝用のスチール撮影が行われていた。カレンダー用、作品宣伝用、 ニューフェース(新人の役者さん)の宣伝、ブロマイド用、等々。
そしてお腹の空く、良い臭いがフンワリと鼻を包んでくれる。
“おい、ジュニア!来てたのか?飯食おうか?”大きな声で私を昼飯に誘ってくれるのは本多組に出演している役者さんの宝田明さんだったりする。

東宝の食堂、喫茶室はいつも満員で知った顔が沢山並んでいた。
時代劇の扮装で、未来都市の扮装で、下町風の若者で、時代を超えた空間だった。
私にとって夢の世界、ファンタジーの世界が其処にあったのだ。
そして、其処には心地良い、ぴーんと張り詰めた一本の空気が流れていた。
それは音に対する敏感な空気だった。 “本番!”の声に撮影所内に居る人々は一瞬にして静寂の空気の中に入るのだ。
撮影所に勤務する人々には当たり前の日常茶飯事の事なので特別感じては居ないのだろう、でも私の様な邪魔者にとってはこの出来事はやたら新鮮で、緊張する出来事だったのを憶えている。
2007年7月23日
本多 隆司