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本多猪四郎監督エッセイ

空想映画の楽しさ

「東宝映画」昭和40年2月号より

 

豆ファンレターを紹介します。

 「新年おめでとうございます。お元気でよいお年を向かえたことと思います。僕は29日に、静岡東宝に本多さんの作りました映画を見に行きました。ちょっとユーモラスでとても死闘とはいえませんでしたがとてもおもしろかったです。特にゴジラがはらをかかえてわらったのがおもしろうございました。
 この映画のみせ所は三大怪獣とギドラの戦いでしたが、ゴジラとラドンのかくとうもすばらしいと思いました。映画を見て気がつきましたが、最初のラドンとこんどのラドンと少しちがっていたようでした。そして前より小さく感じました……(以下略)」=静岡県蒲原町
 「前略、僕は東宝映画が大好きです。とくに怪獣映画シリーズが大好きです。僕が父さんや、母さんに怪獣の絵や写真などをみせると「あんた、そんなつまらないもの」と云います。僕はそうは思いません、この怪獣映画だって勉強の役に立ちます。あの日活や大映の青春映画よりも、僕は東宝の怪獣映画が大好きです。僕は今年の年賀状をあなたに出すのをわすれてしまいました。おゆるし下さい。来年は必ず年賀状を出します……(以下略)」=茨城県日立市
 「拝啓、僕達、生徒には、夏休みや冬休みの様に長い休みが有る。すると必ずと云って良いくらいに東宝が、怪獣映画を上映する。僕は『マタンゴ』と『妖星ゴラス』以外の、怪獣映画は大体見ている程です。『モスラ』の映画が上映された時、ぼくは小学五年生であったと思います。ぼくはその映画を見て感謝感激、雨霰、とまではいきませんでしたが、とにかく大いに感激してしまいました。その時ぼくは、怪獣映画のシナリオを書こうと思いましたが出来ませんでした。しかしその後、『妖星ゴラス』『キングコング対ゴジラ』『マタンゴ』『海底軍艦』『モスラ対ゴジラ』『ドゴラ』などの怪獣映画がぼくの目の前に現れ、遂に心が大きくグラグラと動かされました。
 怪獣映画を見た人の中にはぼくの友達も沢山いたので、友達の意見も十二分に聞いてつくろうとするシナリオですがこれが映画化されたら絶対に良いと思います……(以下略)」 =福岡県北九州市
 「……ドゴラを見ました。とてもおもしろかったです。終って出る時、若い大人の人がつまらないと云ったので僕はくやしくって涙が出ました。でも見る人によって違うのだなと思ってがまんしました。これからもよい映画をたくさん造って下さい。待っています……」=東京


 こう云う少年少女の手紙が次第に数が増して来ました。そして大概はその時の作品のスチールがほしいと最後に書き足してあります。手元に写真がある時は出来るだけその希望に添って送って居りますが、此の頃は枚数が足りなくて、宣伝部にかけ込んだりしても、すでに宣伝期間も過ぎてスチールがなく、あやまりの手紙を書く事があります。
 小供たちは誠に純真で頭の下がる思いをさせられる事があります。特撮作品は時間もかかり製作費もかさむ、時には封切に追われて不満足ながら手を脱かざるを得ない場合もあります。
 その場合でも面白かった処だけを本当に喜んで見てくれます。そう云う手紙や電話を貰った時は次の作品では決してこのあやまちを繰り返すまいと胸を熱くして心に誓うのです。
 空想物の難しさ、それは観客自体の空想の拡がりが千差万別である事。そしてその空想に合致しないと喜んでもらえない。「ゴジラ」と云う架空の動物に対して一方ではユーモラスなど徹底的に排除する考え方があり、動物に人間味がともなったら全然受けつけない人達も多い。勿論作品によっては、最初の『ゴジラ』 はそれですが、作者もその立場に立って描いたものですが、あれから十数年、私達は色々な立場から怪獣を描いて来ました。
 そして今『三大怪獣』を封切って振りかえって見ると大多数のファンは小学生〜中学生が中心になった様な気がします。その原因はどこにあるのだろうか。色々あると思いますが、少年、少女諸君が一番そのものズバリで楽しんで呉れているのではないかと思います。映画館に入ってスクリーンに向かえば、その中にとけこんで純真に楽しんでくれます。それはきっと十二分の楽しさをその映画が与えてくれなかったとしても、此処は面白いここはつまらない、と無心のうちに選択して、面白い処を拾ってくれます。


 私達は、しかし、怪獣映画は子供達だけのものとして、製作した事は一度もありません。何時も反省しているのですが、子供達が面白いと云う事は、子供達に見せるのだから所謂物語の組立も、大人が見てばかばかしくってよいという安易さに流れてはいないだろうかと云う事です。子供達は決して安易や出鱈目は許しません。(拡大解釈とは別)
 私達は常に在り得る事の立場に立って子供達に質問された時には答えられる根底の上に物語を積み重ねて居ります。私は宇宙映画にしろ怪獣映画にしろ製作する我々がまず第一に驚きを持たなければならないと思って居ります。『ゴジラ』が出たら一体どうなるだろう?『ラドン』なんて怪鳥が現在に生れ出たらどうすればいいのか。作る立場の我々が驚き恐れなければなりません。そして出る可能性はあるのか、と疑問を持ちます。原子爆弾なんてとほうもない物が発明され、アフリカ東海岸では二億万年前に生きていて、今は死に絶えたと思われて居た魚が発見された。二千年前の蓮の種子が芽をふき、花が咲いた。まだまだこの地球上には不思議な出来事が沢山あります。
 『ゴジラ』が出ても、『ラドン』が出てもさしたる不思議はありません。特に映画の上では、『宇宙大戦争』の撮影中、ソ連が第一号の宇宙船を打ち上げた。私は、円谷さんと撮影所の隅で「えらい事になりましたね。映画より先に本物が上がって仕舞っては、もう興味がなくなってしまうのではないですかね」田中プロデューサーも頭をかしげて「……併し今更中止するわけにもいかんしね」三人の胸の中は複雑でした。併し、現実にもあり得る事、その事実に立脚した型となった『宇宙大戦争』は大当たりでした。私達の製作態度は間違って居りませんでした。


 『妖星ゴラス』の時は撮影を二週間ばかり延ばして、先ずスタッフ一同が東大の天文学教室で宇宙の話を聞き脚本上の疑問を解きほどいて貰いました。『妖星ゴラス』の様な流星が在り得るかどうかの質問から始めました。
 そこで第一の設定である、銀河系から飛来する事になっている「ゴラス」の様な流星は銀河系にはあり得ない事。併し他の宇宙からならば、来ないと断言は出来ない事を知りました。そして地球の軌道を動かすにはどれだけのロケット噴射を設置すればよいか、その燃料は何を使用すればいいか、その可能性は等々。それ等を我々の目の前で黒板に立ち所に計算して答えて下さるのには驚きました。こうして私達も可能性の上に立脚する事が出来、ロケット基地の大きさやその状態をスタッフ一同がまず疑問を残さず撮影する事が出来ました。
 対策本部で各国の科学者それぞれの立場で説明する場面の黒板に書いてある方程式は、教室の方に来ていただいて書いて貰いました。外人のエキストラには或程度、数学にたんのうな人も居てこの方程式は違うのではないかと云い出す者もありましたが、私達は自信をもって説明する事が出来ました。
 その中で二ヶ所ばかり教室の方に目をつむって貰った処があります。月が「ゴラス」に吸いよせられる場面ですが、計算上は月が吸いよせられれば本当は地球はゴラスの衛星となってゴラスの廻りを廻続け、天空に去って仕舞う筈である事。地球の軌道を動かしたら人間は勿論、生物が生存し得るか疑問である事。この点だけは遂に映画を面白いものにする為と云う事で納得(無理矢理に)して貰いました。
 私はこれからも空想映画は造って行きたいと思っています。映画でなければ表現出来ないもの、そう云う映画を造りたいと思って居ります。


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