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本多猪四郎監督エッセイ

未来人間をつくる

「東宝映画」昭和43年7月号より


今、私の机の上に一冊の本がある。『サイボーグ』(未来人間をつくる科学)という本である。簡単にいうと、サイボーグとは生物と生命のない装置との結合である。プラスチックや、金属の人工義肢は超小型のトランジスター装置をそなえ神経の信号によって動きが制御される。サイボーグ宇宙人は生命を延長し、生命に必要な燃料を節約するために低体温にされ、無重力にあっても害を受けない構造に変えられる。薬や催眠術によって人工的に重力感覚を与えられ、静脈注射によって栄養をとり、老廃物は出さない。彼の細胞は放射線に対して免疫されており、危険な放射能をものともしない。強烈な突風や大気圏に再突入時などの高加速度状態に対しても、彼の電子的に増幅された手足は必要に応じて動く。……そうした人間改造すら可能であるという研究がどんどん行われているという事が書かれている。

 今度の『怪獣総進撃』ではSY号の乗組み員はまったく現在、地球を飛び廻っているジェット機内と変らない働きをしているが月基地くらいまでの飛行だったらきっとこれ位の自由さは装備で解決されるに違いない。
 同時に将来は、SY号のように宇宙も、空気中も自由に飛び廻る小型で便利な航空機が出現する事もキッと常識になるであろう。
 サイボーグは又、受精または受精前に、個体を人工的に変化させて望ましい形態を造ろうとしている。その人間は弱点をもたず、病気にかからず、老化の原因はすべて除かれるか、きわめてゆるやかになるという可能性まで研究が向けられている。

 そこで我々の想像したキラークという無機物的有機物が生命をもったら、それこそ永久といってよい程の永い生命力を持つのではないだろうか? それは地球上では不可能であっても宇宙のかなたの存在とすれば……。或いは、キラークは、宇宙のかなたの生物が「サイボーグ」によって改造した人間を送り込んだのかも知れない。

(未来の人間を造る科学)「サイボーグ」
 その本の隣りに、新聞のスクラップ・ブックがある。その××頁に

  大陸ダナを海底牧場に
  潜水船を年内に着工
  水産庁科学技術庁本格研究始める

 『怪獣総進撃』では小笠原周辺にもう大海底牧場が建設されたという事にしてある。
 実際にもう、その構想は着々進められている。残念なことに、その雄大な海底シーンを画面にすることは出来なかったが、快適な海底居住区の生活、あらゆる魚類の養殖、海藻類の森林、想像するだけでも愉快である。
 その時代になればもし怪獣がいたとすればそれを一ヶ所に集める事は可能であろう。そして、その習性を研究し、その言葉を録音し怪獣達とも対話が出来るようになるであろう。
             ×
 スクラップ・ブックの海外トピックスには「イルカと話せます」タス通信は、ソ連のベルコビッチ教授は、イルカの言葉の研究に熱中、すでに四百語を収集、今後の研究でイルカ語≠判読する糸口をつかみ、辞書も作りたいと大張り切り......云々とある。
 『怪獣総進撃』では人間が集めて研究を進めようとする矢先に、キラーク人の方がその怪獣を利用する事になる。
 「サイボーグ」ではすでにエール大学のホセデルカド博士の研究で、ネコやサルなどの動物に電極を永久的に埋め込み、脳の特別な領域を刺激すると、動物の行動をコントロール出来ることが知られた。ESBと云う方法によると(電気的な、大脳刺激についての研究、の略)電子的な手段によってロボット化された人間を作る......、人間に取りつけてあらかじめプログラムされたタイマーや、あるいは無線的にラジオを通じて本部から送られて来る信号によって、自動的にコントロールされる人間を造ることも可能かもしれないといっている。
 『怪獣総進撃』では、小笠原海底牧場と怪獣ランドのコントロールセンター大谷博士、杏子以下所員全員はキラークによって怪獣と同じようにこの状態に置かれて仕舞うのである。
 そして地球人とキラークとの戦いとなる。怪獣の取り合い。勿論人間が勝たねばなりません......。
 さて昭和二十九年『ゴジラ』を作ってから十四年、随分東宝怪獣も数が増し、十指を越えていますが、その根底に流れるものは最初の『ゴジラ』に代表される強大な、人類社会に対する悪夢的な存在を宿命的に怪獣達はもっている。彼等は如何に善意であるにしろ、或時はユーモラスであったとしても、巨大な獣体をもって生きるためには食料の点でも人類と闘わなければならない。チョッと体を動かすだけで送電線を切り、ダムをつぶし、都会に入れば建物、鉄道、橋りょうを破壊せずには一歩も歩く事が出来ない。彼等が生きているだけで人類は恐怖のドン底にたたき込まれる。それは誕生がすでに悲劇であった。原水爆という人類が造った最終的な武器を背景にして生まれ出た事だ。しかも終戦後、尚かつ戦争の武器としての実験が行われた。その恐ろしさの変形として『ゴジラ』は映画の上に生まれたのである。その後の怪獣も多かれ少なかれ、その影を背負って生まれて来ているのである。その後のどもと過ぎれば熱さを忘れて、いつの間にかアイドルにもなっているものもあるが、如何せん、その体の巨大さは映画の上ではやっぱり本質的に人間とは共存はゆるされない。一応東宝怪獣も『怪獣総進撃』で地球に味方して宇宙人キラークとの戦では勝って小笠原怪獣ランドに連れ戻されはしたものの、原水爆というものがまだ地球上の無気味な存在である限り、怪獣も決してそのまま眠りつづけるとは思えない。『サイボーグ』も今のところ彼等を平和怪獣として改造するまでには到らないようである。
 いや原水爆が存在する限り、その影としての怪獣達は平和な姿にはなり得ないのであろう。
             ×
 『怪獣総進撃』で我々製作スタッフが考えた劇中のシチュエーションはまったくの空想ではなく「サイボーグ」(未来人間をつくる科学)に拾って見ても、ほとんど裏書きされている。本当はこれだけの地球側の科学の発達の上に対向宇宙人の姿をより空想的な立場から描き得たならば、未来的な姿が描き得た筈であった。将来はその意味においても、よりSF的な要素とその仕掛けが画面化されなければならないだろう。此処で私の云いたい事は、今や『怪獣お化け映画』と一部では悪しざまに言われようとも、製作する現場の者に取っては一作一作、何処かに真実と可能性につながる根拠によるよう、苦心してる事をくみ取って貰いたいという事である。美術、小道具、衣裳、それぞれ一つの型を決定するまでには可能な限り、科学書籍をあさり各電機メーカー等の研究所を尋ね、参考意見を引き出し、そしてそれを決められた予算の中で造型化しなければならない。『これは地球上では発見された事のない物質で造られています』そう、地球上には未だかつて存在しない物質で造られた物体、それをスクリーンの上に造って見せなければならない苦心。試作品を前にして議論百出し、スタッフのその苦心と熱意が『ゴジラ』以来十四年間、東宝の怪獣映画をささえて来た。そしてその十四年間、本当に一作一作各PARTの作業技術は進歩して来た。
 怪獣の製作についても、その外型だけでなく撮影時の動き、軽量化等の工夫。
 『怪獣総進撃』のミニチュアは本物と変わらないだけでなく怪獣によって壊される、その時の壊れ方がよくなければミニチュアとして完成ではないのである。
 『ゴジラ』の時一週間もかかって造った、見た目には本物そっくりのビルが押してもたたいても壊れなかった苦い思い出を考えると、現在では雲泥の相違である。
 光学技術も同様である。この素晴しいスタッフの力をどう新しい作品に生かしていくか?   
             ×
 机の上の「サイボーグ」(未来人間をつくる科学)は一つの暗示をつげてくれる。
 最後の勝を制するのはサイボーグ人間かあるいは自然の人間性を主張する保守反動派か。
J・D・バナールは『世界と肉体と悪魔』という本の中で、進化の産物である自然人間は今や行き止まりである。有機的進化の一分派である機械化人間は、さらに進歩を進めて行く正統派である。そして地球人類は、将来(何万年か、何百万年か)宇宙に生きるために地球を離れる新種族と、一種の未知な動物として、「人道主義者たち」とともにこの惑星に残るものとの二つのグループがあるだろう≠ニいっている。そう、我が東宝には怪獣シリーズの外にSF人間シリーズがあった。『ガス人間』『電送人間』──大脳だけが人間であとは水でも炭酸ガスでも呼吸が出来る。無重力も高熱にもたえる人間。本格SF映画も又、この優秀な映画技術スタッフを待っている一ジャンルである。

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